随分と昔のことであるが、「病気を何とかして欲しい」と依頼されたことがある。
実はこの治癒というのはあまり得意な分野ではない。
というのもご依頼者の方の悪い気をすべてこちらで背負うことになるからだ。
詳しい説明は省略するが、回復に時間がかかるのであまり請け負わないことにしている。

断るのは簡単だったが、以前にも何度か交流はあり断りづらかったのと、そういうこちらの不得意をお話した上で「これでもいいなら」ということで了承されたのでお引き受けした。
ところが呪術をきちんと行ったものの、やはり自分でも「思うように成果は出ないのでは…」と思った。

その方は実は末期がんだった。
余命1ヶ月と告げられ、それを受け入れながらも、「欲が出てもう少し家族と過ごせれば」ということで依頼をされてきたのであった。

それから1年して、その方が亡くなったという知らせをご遺族の方から受け取った。
ご丁寧にも生前に「こちらへ連絡して欲しい」ということを故人からお願いされていて、わざわざ連絡してこられたのだという。
1年生きられたことにとても満足しているということだった。

ただ私は、この件に関してだけは呪術よりも、家族のために生きたいという思いがこの方を生かしたのだと思っている。
むろん「医者は余命をうんと少なく言うから」という言い方もあるだろう。
しかし本来人には「信じる」という力も備わっている。それをうまく引き出せない人が増えているだけだ。

よく、「自分は何をしてもダメだ。もう死にたい」というご相談も来る。
ただその前に、本当にやれることはなくなったのか、死ぬしかないところまで追い詰められているのか目を見開いて良く見ることも大切だろう。
自分を信じるということは時折、呪術をも凌駕する結果を生み出すのである。