呪術代行の仕事

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随分と昔のことであるが、「病気を何とかして欲しい」と依頼されたことがある。
実はこの治癒というのはあまり得意な分野ではない。
というのもご依頼者の方の悪い気をすべてこちらで背負うことになるからだ。
詳しい説明は省略するが、回復に時間がかかるのであまり請け負わないことにしている。

断るのは簡単だったが、以前にも何度か交流はあり断りづらかったのと、そういうこちらの不得意をお話した上で「これでもいいなら」ということで了承されたのでお引き受けした。
ところが呪術をきちんと行ったものの、やはり自分でも「思うように成果は出ないのでは…」と思った。

その方は実は末期がんだった。
余命1ヶ月と告げられ、それを受け入れながらも、「欲が出てもう少し家族と過ごせれば」ということで依頼をされてきたのであった。

それから1年して、その方が亡くなったという知らせをご遺族の方から受け取った。
ご丁寧にも生前に「こちらへ連絡して欲しい」ということを故人からお願いされていて、わざわざ連絡してこられたのだという。
1年生きられたことにとても満足しているということだった。

ただ私は、この件に関してだけは呪術よりも、家族のために生きたいという思いがこの方を生かしたのだと思っている。
むろん「医者は余命をうんと少なく言うから」という言い方もあるだろう。
しかし本来人には「信じる」という力も備わっている。それをうまく引き出せない人が増えているだけだ。

よく、「自分は何をしてもダメだ。もう死にたい」というご相談も来る。
ただその前に、本当にやれることはなくなったのか、死ぬしかないところまで追い詰められているのか目を見開いて良く見ることも大切だろう。
自分を信じるということは時折、呪術をも凌駕する結果を生み出すのである。

「誰かに呪われているようだ。呪い返しをして欲しい」というご依頼も時折ある。
ただしその中で、本当に呪いをかけられているものはごくわずかである。
こういう場合は不思議と相談内容でピンとくる。呪い返しについてはこちらで行うか、もしくは依頼者に対策していただくことになる。

しかし大半はたまたま偶然が重なったものを、一方的に「誰かに呪われている」と思い込んでいるに過ぎない。
心霊写真でも9割は偽物、というのと同じものである。
不思議なことに一旦そう思い込むと、何もかもが関連付けられているように見えてくる。

家族が交通事故に遭ったというお話でも、あれこれ聞いてみれば以前から運転の荒い方で、違反をしてキップを切られることもしばしば、点数もあまり残っていなかったという状況であり、このような運転の仕方をしていれば遅かれ早かれ事故は起こすものだ。
また、体調が悪くて…という場合でも季節の変わり目は風邪を引いたり体調を崩しやすく、仕事のストレスで頭痛を引き起こすこともある。

家の中で次々と電化製品が故障した、というのでも、よく調べてみれば何のことはない、たまたま同じ時期に購入したものが寿命で壊れたという結末だったこともある。

呪い返しをして気が済むのならさせていただくが、そうやってすぐに「呪いのせいだ」と思い込むと「あれも」「これも」と悪いことしか目に入らなくなってくる。
これは怖いことである。
幸せが目の前にあっても不幸にしか目が行かず、自分で自分を追い込むことになる。

もし何か悪いことが立て続けに起きたとしたらしばらくは様子を見ると良い。
必ずどこからか運気が回復してくるはずである。
単なる偶然に振り回されてあわてるとろくなことがない。
それでも気のせいだと思えないようであれば、この時点で相談されることをお勧めする。

呪術を使用する場合、道具はすべて新品でなければならない。
これはどんな種類の呪術であっても共通する決まりごとだ。

例えば大抵の呪術に必要となる、紙や筆記用具の類も、1つの呪術ごとに新しいものをそろえるべきである。
決して使いまわしてはならない。
香、ロウソク、その他呪術に必要な道具すべて同様である。
面倒だからと前の呪術に使ったものを使いまわすようなことをすれば、その呪術の影響を受けるので、効果どころかとんでもない結果を招くこともある。
ただし呪術の方法内で使い古しのものであるとか、精製したものといったような指定があれば話は別だ。
また、紙や木を指定の形にする必要があるなどで使用した刃物などについては新品である必要はない。

手に入らない道具については、代用の品が用意できればそちらを用意する。
昔から伝わる呪術の中には、今では入手困難な道具を指定するものがある。
例えば、動物の皮などである。
こういった場合は代理の品を提示した文献がないか、もしくは他の呪術を使うことが出来ないか探すと良い。
中にはその柄模様の布で代用できる、としているものもある。
木の芽、種子の類の中には香辛料として販売されているものもあるので、そちらを使うことが可能である。

道具類の処分については、指定があればそれに従う。
なければ燃やせるものは燃やし、無理なものは白い紙に包んで捨てるようにする。
お札、御守りなどの類は効果がなくなったと感じたら白い紙に包んで捨てるか燃やす。
いつまでもダラダラと持ち続けたりするのは逆効果である。
尚、処分の際には呪術に使ったことに対して感謝の念を忘れないようにすること。

昔、「どうしても呪殺を行って欲しい」と頼まれたことがある。
かなりの金額を提示され、「これでやって欲しい」と言われたが断った。
以前から述べている通り、呪殺は依頼者にも施行者にも死の危険が伴う呪術である。
お金の問題ではないし、こればかりは簡単に引き受けられない。
そうしたところその方は、私が金額の少なさに断っていると勘違いされたらしく、「自分で行う」と去っていかれた。

それから1年くらい経過した頃であろうか、再びその方がやってきて、「呪術を解く方法を教えて欲しい」と言われた。
顔はやつれ、見るからに何か変化があったという感じであった。
問いただしてみればあれから呪術の本を手に入れ、これなら自分にも出来ると実行したのだという。
ところが相手はまったく何の変化もなく、逆に、自らに災禍が降りかかってきた。
詳細は省くが、これ以上はないというほどの不幸を体験されていた。
まさに、自らへ呪術が返ってきた形である。
どういった呪術を行ったのか尋ねたが、忘れてしまい特定できない上に、この方は呪術を行う上で最低限必要な守護の方法についても知らないまま、呪術を実行してしまったのであった。

行った呪術がどのようなものであるかわかれば解除はできる。
しかし、何をしたかも分からない、どの文献かも紛失してわからない、では手の施しようがない。
気の毒にとは思ったが、できることは何もなかった。

文献を読み自ら呪術を行うのは本人の自由である。
しかし、危険な呪術であれば施行にあたりより慎重にならなければいけない。
またそういった「世に出ている文献」は公開されていない部分があるということも忘れてはならない。
修験道の修業を積まれた方とお話しする機会があったが、「そこらで手に入るようなものに本当のことを書くはずがない。そんな危険なことをわざわざする者はいない」とおっしゃっておられた。
呪術の本を手にして自ら行おうとされるのならば、まずは身を守る方法を学んでおくべきである。
お気をつけいただきたい。

呪いを行うにあたって、ご依頼者の方にはそれがどんなものであろうと全員に、良い行いをして下さいとお願いしている。
すると時折、「多額の寄付をしてやったのに呪術の効果がない」とか「人に親切にしてあげているのに思ったような効果がない」と言ってこられる方がいる。
善行とは「してやった」「やってあげた」という、上から下へ見下ろすような心で行うものではない。
また、見返りを期待して行うのであればそれは善行ではなく、単なる「ギブ&テイク」である。

もちろん呪術を成功に導くために善行を行うのであるから、確かに「ギブ&テイク」ではあるのだが、例えば道に迷っている人を助ける、困っている人に声をかけるという行為は見返りを期待して行われるものではないはずである。
その心が大切なのである。
イヤイヤながら良いことをして、「これで呪術も成功するだろう」と思うのなら最初から行わないほうがいい。
あくまでも、「何か出来ることがあれば」という気持ちから出発をして欲しい。
それが出来る心の状態でなければ、しばらく待つことである。
焦った心で善行をしても暖かな気持ちにはならない。
「これだけしてやっているのに感謝の言葉もないのか」という気持ちが生まれるだけである。

情けは人のためならずという言葉には二つの解釈があり、一つには「人にした善行は必ず自分にも返ってくる」という意味がある。
呪術を施行するに当たって積むべき「善行」はまさしくこれだ。
もちろん恋愛関係の呪術であっても、人を呪う呪術であっても変わらない。
自分の願いだけかなえてもらうのではなく、他人の幸せも願う。
その気持ちを持ちたいものである。

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